2008年4月26日 (土)

引っ越しました

このブログははてなに移転させていただきました。移動先は、http://d.hatena.ne.jp/n_kadomatsu/ です。記事は全て引っ越しましたが、頂いたコメント等は残念ながら移動できませんでした。当分の間、こちらもそのまま置いておきます。

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2008年4月21日 (月)

透明人間:その後

昨日のエントリで触れた「透明人間」について、木佐茂男先生よりメールを頂きました。そのご趣旨は、

・「透明人間」論は、行政手続法制定以前から話題になっていて、某先生がこだわっておられた
・本来、「透明」ではなく、行政手続の「MRI透視」あるいは「PET透視」なのではないか

というものでした。前者の点について、実は他の同業者からも同じような指摘をいただきました。某先生にお会いするときにお伺いしてみようかと思います。

後者についてですが、

基本的に理系音痴の人間なのですが、なぜか「日仏先端科学シンポジウム」に出席させていただいたことがあります。分子イメージングに関する報告を拝聴して、今までそもそも顕微鏡の原理すら考えたことがなかったことに気づきました。光学的な拡大以外の原理によって「見えないものを見よう」とする以上、「全く同じ像」が伝達されているかどうかを問うことは難しくなるでしょう。もはや即自的な「見る」ことではなく、観察者の観察目的との相関を考えざるを得ないのではないでしょうか。(さっぱりわかりませんが、こんなニュースもあるみたいですね)この意味で、PETによって得られる画像が形態画像ではなく、機能画像だというのも、考えてみれば面白いと思います。

透明=単に遮蔽物がないか(あるいは透明ガラス)ではなく、何らかの観察(診断)目的に規定された「透視」可能性が問題なのだ、という意味で、木佐先生の指摘は卓見だと思った次第です。付け加えれば、ユーザーのための「画像化」のありようも問題になるでしょう。

ちなみに、医用画像処理においては、観察対象である人体に侵襲性がないことが、もっとも重要な考慮要素でしょうが、行政活動に対する「透視」は、観察が対象に影響を与えることを当然に予定している点で、大きく異なっているような気がします....

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2008年4月20日 (日)

平成19年度重要判例解説

 ジュリスト臨時増刊(1354号)平成19年度重要判例解説 38-39頁に小田急訴訟上告審本案判決(最判2006.11.2)の評釈を執筆させていただきました。例によっての原稿遅れに加え、2頁に収めるために何度もやりとりが必要で、関係各位にはご迷惑をかけました。
 本文中に、赤井伸郎「公的部門におけるソフトな予算制約問題」(伊藤秀史/小佐野広編『インセンティブ設計の経済学―契約理論の応用分析』(勁草書房,2003)338頁以下)に言及していますが、同文献については、CDAMS公共空間研究会の折に、藤谷武史先生(北海道大学)よりご教示いただいたものですが、 紙数の都合上言及できませんでした(ただし、正しく利用できているかどうかはわかりません)。
 また、これも文中で引用している
国土交通省「公共事業評価の費用便益分析に関する技術指針」はこちらから参照できます。

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透明人間

執筆中(すみません>関係各位)の某原稿で、行政手続法の「透明性」概念について検討しているのですが、有斐閣アルマ『はじめての行政法』(2007年-行政法初学者には藤田・入門と並んで最適書の一つだと思います)89頁 Column7に次のような記述があります。

「本書の編集会議の雑談で、著者の1人(下井康史先生)が、「『透明性』というけれど、もし本当に透明だと、透き通って見えるのではなく、逆に『透明人間』のように目には見えず(invisible),行政過程は閉ざされたブラックボックスになってしまうのではないか」、と発言された。当初は大爆笑した執筆者一同であったが、しばらくして『笑えない冗談』だ、ということに気がついた」

『透明人間』といえば、H.G.ウェルズのそれを誰でも連想するでしょうが、上でも示唆されているように、同書の原題は"The Invisible Man"です。
  (定冠詞抜きですが)同じタイトルを持つ本として、ラルフ・エリスン『見えない人間』があります。そして、短編集中の一編(こちらは定冠詞付)として、G.K.チェスタトン「見えない男」(『ブラウン神父の童心』所収)(www.online-literature.comより)があります。エリスンの本のタイトルの含意は、ウェルズではなくむしろチェスタトンに近いような気もします。
  「見えない人間(男)」と訳されるときの重点は、当該対象自体の不可視性にあるわけですが、「透明人間」と訳されるときは、不可視性を実現するためのメカニズムに興味の対象があるということになるでしょう(それが本質的に不可能であることはネタ的によく指摘されますが(wikipediaも参照))。

  
上の『はじめての行政法』でも紹介されているように、行政手続法1条は、「行政運営における....透明性」を「
行政上の意思決定について、その内容及び過程が国民にとって明らかであること」と定義しています。しつこくこだわれば、ここでの「透明性」は、「見られるべき」何らかの対象があらかじめ存在することを前提とした上で、それが「可視的」であるためには遮蔽物がないか、あってもそれが透明な(transparent)ガラスであるといったイメージなのだと思います。

 ガラス張りの知事室といった文字通りの場合を別にすれば、もちろんこれは比喩でしかありません。実際には、なんらかのメカニズムによって、「見られるべきもの」の「可視性」を実現すること(ウェルズの透明人間とは逆に)こそが「透明性」という標語によってめざされていることなのでしょう。

(目的規定で「透明性」はうたわれていませんが)情報公開法の場合、「既に存在する行政文書」への遮蔽物をなくすという意味で、上の「透明性」イメージに比較的近いものがあります(もちろん実際には、単に遮蔽物をなくすだけでなく開示に向けての行政機関の作業も必要ですが)。しかし、行政手続法の場合、理由提示・基準設定・聴聞及び弁明機会の付与・行政指導の文書化・(2005年改正による)パブリックコメント、それぞれ、何を「見られるべきもの」ととらえているのか、改めて考えてみたいと思っています。

(追記:4/21)検索して、井上ひさし編『「ブラウン神父」ブック』(春秋社、1986)に、柳瀬尚紀氏による"The Invisible Man"の翻訳が掲載されているのに気づきました。こちらでは「透明人間」と訳されています。本棚の奥から苦労して引っ張り出して目を通しましたが、自分が翻訳家になれなかったわけが改めてよくわかりました.....なお、本文も一部修正しました("transparent"を補充)

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2008年4月11日 (金)

学習指導要領:パブコメと「タイムラグ」

以前のエントリで触れた、新学習指導要領に対するパブリック・コメントの問題ですが、各教職員組合のサイトで、告示日に出された次のような見解を見つけました(告示後の全日本教職員連盟の見解は、ネット上では見つけられませんでした)。

日本教職員組合 

本日、文部科学省は、幼稚園教育要領および小学校・中学校学習指導要領を告示した。「改訂案」に対するパブリックコメントの締め切りから僅か12日での告示であり、さらに「総則」を含むいくつかの部分において内容が付加されるという「修正」が入り、極めて異例の事態であると言わざるを得ない。
 文部科学省は、「総則」の「道徳教育」に「我が国と郷土を愛し」という文言を付加した。その理由を「パブリックコメントで多くの意見が寄せられたから」と説明している。寄せられたすべての意見を示すことなく、「修正」理由を明らかにしないまま、告示で盛り込むという手法は、「教育基本法政府法案」の作成過程を想起させるものである。また、小学校・国語では、「伝説」が「神話・伝承」と改められるなど、国による一方的な伝統・文化の強調が見られる。

全日本教職員組合

文部科学省は、2月15日の案の提示の段階から、1カ月間のパブリックコメントを行ってきました。ところが、そのパブリックコメントの結果については、まったく明らかにしないまま、上記のような重大な変更を行ったのです。新聞報道では、寄せられたパブリックコメントは、5679件とされており、教職員をはじめ多くの国民の関心が寄せられたことが示されています。しかし、本日時点でも、まだその結果は公表されておらず、案からの変更は、まったくの密室で行われたとしか考えられません。

結果公示案件詳細によると、公示日は3月28日となっていますから、おそらくは上の声明が出された後、同日中に公示されたと言うことでしょう。もちろん結果の公示では、要約とグルーピングされてはいますが、意見の内容は公表されています。

 もともと原案に批判的であり、パブコメを経て更に望ましくない方向に変更されたと認識しているこれら団体が、パブコメの内容をあらかじめ明らかにしないまま修正されたことに不満を抱くことは十分理解できます。

ただし、このような運用は、現行行政手続法それ自体が予定するものです。

行政手続法43条1項は、

命令等制定機関は、意見公募手続を実施して命令等を定めた場合には、当該命令等の公布(公布をしないものにあっては、公にする行為。第五項において同じ。)と同時期に、次に掲げる事項を公示しなければならない。
一  命令等の題名
二  命令等の案の公示の日
三  提出意見(提出意見がなかった場合にあっては、その旨)
四  提出意見を考慮した結果(意見公募手続を実施した命令等の案と定めた命令等との差異を含む。)及びその理由

とし、命令等の公示とパブコメに寄せられた意見・行政機関の考慮結果が「同時期」になされるべきものとしています。下記の常岡著も指摘するように、これは閣議決定段階の事務からの変更点です。

教職員組合による批判は、パブコメによる国民からの意見を踏まえて更なる議論がなされることを制度上予定「しない」というこの制度のそもそもの特質の評価に関わる重要な問題提起になっていると思います。前エントリでも触れたように、パブコメは所詮「1往復半」のコミュニケーションであり、主に説明責任履行のための制度だという特質をどう考えるべきでしょうか。

<参考資料>
*常岡孝好「パブリック・コメントと参加権

1999年の閣議決定の下では、行政機関は提出された意見に対する「考え方」を取りまとめ公表するが、この公表は意思表示の時点までに行うことになっていた。したがって、閣議決定の下では、「考え方」の公表と、命令等の制定との間にタイムラグが生ずることがあり得た。つまり最終的な意思決定の前に、提出意見に対する考え方が公表されるという実務があった、ところが、改正法案では、こうしたタイムラグが生ずる可能性はほぼ塞がれた。(p76)

*第162回国会参議院総務委員会会議録第16号(2005.6.16) (国会会議録検索システムより)
(下線は引用者) 

○藤本祐司君 (略)
 続いて、次の質問なんですが、四十三条の結果の公示についてであります。
 この結果の公示等については、当該命令等の公布と同時期に、そのいろんな意見、パブリックコメントで出された意見についての取りまとめたものも提示するということになっているんですけれども、一つお聞きしたい、二つですね、についてお聞きしたいのは、「同時期」って書いてあるんですけれども、この同時期というのは、本当に同時期って、全く一斉にということは不可能なんだろうと思うんですね。意見をもらいまして、それを結果として取りまとめましたよと。それで、それを反映して、命令等に反映しましたよというのが、これ全く同じ時期というのは、なかなか正直言うと困難じゃないかなというふうに思うんですけれども。
 そういう意味で、この同時期というのはどのぐらいの幅を考えていらっしゃるのかということと、もう一つ、ちょっとこれは昨日、済みません、通告していなかったんですけれども、もし答えられたら教えていただきたいんですが、この同時期というのは閣議決定のときと違っています。閣議決定のときは、パブリックコメントを集めて、それをもらって、その結果というのをまず公表した後に命令を制定するという、タイムラグを意図的に生じているわけなんですね。これ、同時期ではなかったんですけれども。
 そういうことで、わざわざ期間を設けていたんですけれども、そこと今回変わって、全く同時期というのは、ここはもう大きく変わったところなんですが、その変えた理由、要するに、今までだとうまくなかったということなんだろうと思うんですけれども、その辺の何か問題点というのがあって変えたんだと、その理由を教えていただければと思います。

○政府参考人(藤井昭夫君) 第一点は、同時期という言葉の趣旨でございますが、これは特段定量的な、何日以内とか、そういうような基準というものが考えられるものではないかと思っていて、一般的に、ほぼ、ほぼじゃなくて、全く公布の時期と、せいぜい、事務的に若干の遅延がある場合とか若干先立つ場合とか、そういったものは許容されるということだと思いますが、基本的に同時とそんなに違わないというふうに御理解いただければと思います。
 それから、閣議決定と法律制度とのその順番、順番というか、期間を置くことをやめた理由ということでございますが、これもむしろ、前もって公示、結果を公示した後、閣議決定、政令等を定めるという、そういう手続を法律上義務付けることの意味が果たしてどれほどあるかということを検討をいたしまして、結局、別に、考慮した上で反映されればいいわけですから、それともう一つは、国民の方々にどういう理由で反映したか反映されなかったかということを分かっていただけるということさえ確保できればいいということで、基本的に、まだ、前もって決めるということの必要性はそれほど高くないと。
 一方、むしろ、できるだけ全体のやっぱり策定手続の期間というものを圧縮するという方が事務負担という観点からはいいわけでございますので、できればそういう期間というものは縮めて、同時期にさしていただいて、全体、この制度が、趣旨に沿って、しかも行政機関の運営にもそんなに大きな支障が生じないというような形で制度設計できればという、言わばそういうバランス感覚と言ってよろしいでしょうか、そういう物の考え方からこういう制度にしているというところでございます。

○藤本祐司君 ちょっとよく分からなかったんですけれども。
 要するに、タイムラグというか期間を設けることにそれほどの意味がないというのは分かるんですけれども、じゃ、同時期であるという意味がよく分からないんですけれどもね。同時期でというのを、わざわざ同時期というふうに示しているということは、同時期であることの方がはるかにいいんだという結論があるから同時期というふうに言っているんじゃないかなというふうにしか思えないんですけれども。わざわざ同時期と言っているということは、期間を置くと何か問題があったんじゃないのかなと、あるいは、同時期であることが大きなメリットがあるから同時期ってわざわざ言っているんじゃないかなと思うんですけれども。
 ちょっとそこの辺り、もう一度御説明いただけますか。

○政府参考人(藤井昭夫君) 説明が分かりにくくて恐縮でございます。
 申し上げようとしたのは、今先生タイムラグとおっしゃったですが、実際には、結果を考慮して整理した段階で、大体、案ができている場合、案というか最終的な決定文ができている場合が結構あるわけでございまして、それを、時間を置くということであれば、その期間だけわざわざその決定を遅らせるということをこの制度が義務付けるということになりかねないということであると、全体の政省令等の決定の期間が、その分、余分に見込んで進めるということになるということであれば、元々、恐縮ですが、この政省令等の策定手続というのは、それなりに、マンパワーだけじゃなしに時間を要するわけでございますので、その分、先立ってその準備をしなければいけないというふうな、いろいろな面でやっぱり行政運営上ちょっと負担を掛け過ぎることもあるなということで、できれば簡素化できる期間というものは省略したいという趣旨でございます。

○藤本祐司君 要するに、同時期ということは、こういう意見をもらいましたよと、それを考慮してこういう命令を出しますよということを一緒にやるわけなので、意見を出しても、それを、理由は示すとしても、結果としては要するに有無を言わさずこうしますよということにしかならないわけですよね。一回、これ一往復しかしていないわけですので、例えばこういう意見が大勢を占めていますと、だからこういう意見をやるんですけれどもどうですかという手続は途中には一切入らないわけなので、もう有無を言わさず、こうしますよ、意見を考慮してこうしますよということにしかなってないんですが、ちょっとここのところは考え方もあるかもしれないですけれども、私なんかパブリックコメントって考えると、パブリックコメントを出して、それが何件来るか分からないですけれども、それを集めてこういう意見があったと、で、こういうふうにしたいと思うんだけれどもというのが本来は入ればいいんだけれども、なかなか期間が一杯掛かってしまうと問題だということで、そこは短くするということはあるんですけれども、ちょっとこのパブリックコメントの意味というか趣旨というのが、同時期になっちゃうと本当に有無を言わさずぽんと出てしまうのかなという感じがして、逆に言うと、省庁側からすれば、パブリックコメントをやったということで、もうそれでよしとするという形になってしまうんじゃないかという懸念がちょっとあるんですけれども、それについてはどうお考えでしょうか。

○政府参考人(藤井昭夫君) 確かに、御指摘のように、この手続は、意見を踏まえて決定するんだというようなプロセスから考えると、意見を聴いてその上で決定したという、そういう、そのために必要な期間というものを確保しておくということは、それは一つの考え方だろうと思っております。
 ただ、これは繰り返しになるところは省略しますが、加えて、私どもは、やっぱりこの制度の力点は、反映させるということも重要ですが、それ以上にそういう透明性を確保すると。どういう意見があって、どういう考え方でもってこういう最終的な決定文になったかというところの透明性を図って、むしろそれを国民の目で、一般が見られるようにするというところを極めて重要視しております。
 その意味から考えますと、最終的な決定文とその意見とそれに対する行政機関側の理由、こういったものは一体的にむしろ同時期に出した方が国民に理解されやすいというところもあるということも指摘させていただきたいと思います。

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2008年4月10日 (木)

スモークドツナ事件差戻控訴審

以前のエントリで、以前評釈を執筆した最判2004.4.26(食品衛生法違反通知)について差戻1審判決があることに気づいた、と書きました。またまた気づいていなかったのですが、控訴審判決も出ていたようです。原告サイドのHPで知りました。裁判所HPからも検索できます。

食品衛生法の解釈について、興味深い論点を提供していると思います。原告は上告中だそうです。

差戻し1審:千葉地判2006.3.17
差戻し控訴審:東京高判2007.7.18

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2008年4月 5日 (土)

新指導要領パブリックコメント

朝日新聞2008年3月28日
指導要領、異例の修正 「愛国心」など追加 改訂きょう告示

渡海文部科学相は28日付の官報で小中学校の改訂学習指導要領を告示する。告示は改訂案とほぼ同じ内容になることが通例だが、総則に「我が国と郷土を愛し」という文言を入れ、君が代を「歌えるよう指導」と明記するなど内容が一部変わった。2月の改訂案公表後、1カ月かけて意見を公募。保守系の国会議員らから改訂案への不満が出ていたこともあり、文科省は「改正教育基本法の趣旨をより明確にする」ため異例の修正に踏み切った。
 修正は全部で181カ所。大半は字句の修正や用語の整理だが、総則に「これらに掲げる目標を達成するよう教育を行う」と挿入し、「道徳教育」の目標に「我が国と郷土を愛し」を加えた。
 小学音楽では君が代を「歌えるよう指導」とし、中学社会では「我が国の安全と防衛」に加えて「国際貢献について考えさせる」と自衛隊の海外活動を想定した文言を入れた。
 改訂案に対しては、自民党内から「改訂案が教育基本法の改正を反映していない」と早くから不満が上がっていた。八木秀次・高崎経済大教授が理事長の日本教育再生機構も同様の立場で、文科省に意見を送るひな型となる「参照用コメント」を公表していた。
 一方、中学社会の「北方領土が我が国の固有の領土」という記述には、韓国が領有権を主張している竹島も加えるよう要望が出ていたが、「政治的判断」(文科省幹部)から応じなかった。
 改訂案への意見公募は2月16日から3月16日まで実施され、計5679件が寄せられた。

意見提出手続(パブリック・コメント)の難しさを浮き彫りにしています。

1.パブコメによる修正

パブリック・コメントの意見内容とそれに対する文部科学省の回答は

こちらからダウンロードできます。

この回答を見ると、パブコメを受けた変更として、例えば以下のようなものがあることがわかります。(その他の修正も含めた改訂案からの修正点はこちら

14(上記「回答」の意見番号、以下同じ):
(意見)子どもたちの身体も心も健やかな成長を望むなら、各教科等において食育
の推進が必要
→(回答)ご指摘も踏まえ、告示では、幼稚園教育要領の領域健康のほか、小・中学校
学習指導要領の総則において「食育の推進」と記述するとともに、小学校の家
庭科、体育、特別活動及び中学校の技術・家庭科、保健体育、特別活動にお
いて食育について規定しました。

15:(意見)「国を愛する心」について、総則において明記するとともに、社会科以外で
も教えることを盛り込むべき。
→(回答)ご指摘を踏まえ、改正教育基本法の趣旨をより明確にすべき点はないか検討した結果、小・中学校学習指導要領の総則に、学校教育においては伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、公共の精神を尊び、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献する主体性ある日本人を育成することが目標であることを明確にしました。

47:(意見)我が国の歴史において宗教(神道、仏教、キリスト教)が果たしてきた役割
を理解させるようにすることが必要。また、仏教、キリスト教だけでなく神道
も教えるべき。
→(回答)中学校学習指導要領では、社会科〔歴史的分野〕内容(2)において「宗教のおこり」や「日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰」などを規定しています。特に、「当時の人々の信仰」については、現行学習指導要領においても内容事項として規定されていますが、告示においては改訂案の「内容の取扱い」の位置付けから内容事項と修正しました。

53:(意見)日本の建国の由来及び神話の学習を充実すべき。我が国の歴史・伝統と密接な関係にある祝祭日の由来と意義を理解させるべき。
→(回答)小学校学習指導要領では、社会科〔第6学年〕内容(1)において「神話・伝承を調べ、国の形成に関する考え方などに関心をもつこと」と規定しています。また、内容(2)の取扱いにおいて、改訂案を一部修正し、「政治の働きと国民生活との関係を具体的に指導する際には、各々の国民の祝日に関心をもち、その意義を考えさせるよう配慮する」と規定しています。

68:(意見)和服の「着方」については、和服の「着装」にした方が適切ではないか。
→(回答)現行の高等学校学習指導要領家庭科における表現に合わせて、「着装」に修正しました。

92:(意見)児童生徒が国歌を斉唱できるとともに、国旗・国歌に対して敬意を表するよう教師が指導することが必要。
→(回答)学校における国旗・国歌の指導については、音楽において改訂案を一部修正し、「国歌「君が代」は、いずれの学年においても歌えるよう指導すること。」と規定しています。また、特別活動において「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定されています。

(参考)
新学習指導要領
結果公示案件詳細
意見募集中案件詳細

(パブコメの意見提出を呼びかけたと思われる団体

日本教育再生機構  改訂案への『見解」  パブコメ呼びかけ
日本会議関係

2 パブコメの意義
 パブリック・コメント制度は、一般に次のような特徴を持つものです。
(1)行政機関と市民との間のコミュニケーションであり、市民相互間での議論を伴わない
(2)行政機関による原案の公示→市民による意見提出→提出意見の考慮→結果の公示という「一往復半」のコミュニケーションに限定される
(3)提出意見の多寡によらず、内容の適切さによって考慮される。
(4)行政機関の原案は熟度の高いものであり、他方市民の側の意見提出についても、分量的制約は基本的に存在しない
(5)結果の公示において、提出意見及びそれに対する行政機関の考え方の公示が(整理要約は許される)義務づけられている(参照、豊島・資料①、常岡・資料②)

 そのためこの制度については、 

「民主主義的参加手続に関する理論が従来から前提としてきた行政の意思形成の過程の民主化という目的よりもむしろ、意思形成過程における考慮事項(=意見・情報・専門的知識)をできる限り豊富化するという発想に立脚した手続」
 「実施機関が何らかの政策決定を行う場合に、できる限り民意を反映した決定を行うというよりも、むしろ、何故に当該決定を行ったのかについてできる限り合理的な説明を行うための(説明責任を果たすため)の手段である面が強い」(豊島・資料*。ただし、2006年行政手続法改正の閣議決定に基づく意見提出手続に関するコメント)

という適切な指摘が既になされているところです。(もっとも、民主主義的参加と、市民からの情報収集・市民の情報提出権とは、必ずしも二分法的に捉えるべきではないと考えられます。端緒にとどまりますが、拙稿 「『公私協働』の位相と行政法理論への示唆---都市再生関連諸法をめぐって」公法研究65号(2003.10)200-215頁でこの点を若干論じました)

3.修正のジレンマ
 「一往復半」のコミュニケーションである以上、パブリック・コメントは基本的なジレンマを抱えることになります。成熟度が高い「具体的・明確な案」(行手法39条2項)が原案として提出されることで、「後戻りできないような段階になって意見を求めるもので、その段階で提出された意見を考慮しても、原案の微修正しか起こりえないのではないか」(常岡・資料②)という問題があるわけです。修正したら修正したで、修正案について再度のパブリック・コメントが必要ではないかという問題が生じることになります。

 この点については、

「意見公募手続を実施した結果、命令等制定機関が見落としていた重要な論点の指摘がなされたり、公示した案の前提となっていた事実認定を覆すような情報が提出されたため、公示した案を大幅に変更する必要が生じた場合にはどうすべきかという問題がある。この場合、修正した案が当初の案との同一性が失われる程度にまで達していれば、修正案については意見公募手続をとっていないことになるので、改めて意見公募手続を実施しなければならない」(宇賀克也『行政法概説I行政法総論』(第2版、有斐閣、2006年)396頁)

という理解が示されています。

となると、今回なされた修正の法的評価のポイントは、(1)修正が「命令等制定機関が見落としていた重要な論点の指摘がなされたり、公示した案の前提となっていた事実認定を覆すような情報が提出されたため」だったか(2)修正が「大幅な変更」にあたるか、さらに「同一性が失われる程度にまで達している」といえるでしょう。

ただし、パブリック・コメントが多数決でないということについてはほぼ見解の対立はないでしょうが、「命令等制定機関が最終の命令等を制定するに当たって、同趣旨の意見が国民から極めて多く提出されたという事実をそれなりに重く受け止めるべきであろう」(常岡・資料②)という指摘もあるところです。

他方、仮に今回寄せられた意見については、特定の団体の呼びかけに応じてなされた面もあるようです。いわゆる「組織票」とまで言えるかどうかはわかりませんが、仮に組織票だとしても、そういった団体が存在するということを考慮に入れること自体が禁じられているとまでは言えないでしょう。ただその場合でも、命令等制定機関は、「意見が多数寄せられた」という事実の陰に隠れるのではなく、あくまで自らの責任において修正したのだということを明確にする必要があります

4.原案と修正案の関係

 原案の大幅な修正が認められる場合、常岡・資料②が指摘するような

「たとえば、国民の大きな反発が予想される条項を外した原案を作成してそれについて意見を求め、提出意見を考慮して修正したと称して、反対の強い条項を最終的な命令等に潜り込ませることがおきるかもしれない」

という事態が起きないとは限りません。

今回の場合、そのような悪意ある運用がなされたとまで断ずる十分な根拠はないかもしれません。

しかし今回の修正は、意思形成過程の記録により説明責任を果たすというパブコメの機能の限界を示しているのではないでしょうか。

 パブコメで「原案<修正案」の方向の意見が寄せられた場合、命令等制定機関が最終的に原案を維持する場合であれば「原案>修正案」の論拠が「回答」で示されることになりますが、今回問題とされた例のように修正されてしまう場合、後者の論拠が意思形成過程の記録に残らないことになります。パブコメは基本的には命令等制定機関の原案に対して意見を述べるものですから、意見の中に「原案>修正案」の論拠が示されていることもあまり期待できません。パブコメの最も重要な機能が説明責任を果たすことにあるとするならば、これはかなり問題です。

 今回「君が代」については、

(原案)「君が代」は、いずれの学年においても指導する
(修正)「君が代」は、いずれの学年においても歌えるよう指導する

という修正がなされたわけですが、「『歌えるようになる』指導まで一律に求めるべきではない」という意見の人がいるとすれば、そのような意見の存在とその論拠は意思形成過程において反映されなかったことになります。仮に「歌えるよう指導する」が原案として提示されていたとすれば、上のような意見とその論拠が提出されていた可能性はかなりあるのではないでしょうか(*)。

もっとも、「だったらどうすべきか」、は難しいです。

ありうべき方向性としては、しばしば行われているように、市民の間で大きく意見がわかれそうな問題については、できるだけ早期の段階で両論を併記してパブコメを行い、論点と論拠を整理しておくことでしょう。行政手続法のパブコメはほぼ最終段階でなされるを予定するものですから、法定のそれとは別のものと位置づけることになると思われます。

もう一つの方向性としては、「パブコメは説明責任のためのもの」と割り切り、大幅な修正は基本的に許されないものと考える、民主主義的参加については別の手法に期待する、というものですが、市民の意見提出の意欲自体を失わせるおそれがあること、別の参加の仕組みが常に整備されているわけではないことからすると、なかなか難しいでしょう。確立した法的義務を伴う仕組みが現状ではパブコメしかないことを考えれば、多様な機能を当分の間期待せざるを得ないと思われます。

(*)(4/12追記) 3月28日付の日本教職員組合の「書記長談話」では、
「小学校・音楽では、「君が代」を「指導すること」が「歌えるよう指導すること」と変更された。音楽における指導とは、「表現」と「鑑賞」であり、わざわざ「歌えるよう」を付加した意図が明確ではない。また、学校には、国籍や宗教等に関わってさまざまな子どもたちがいる中で、子どもの権利条約の観点からも公教育において子どもに歌うことを強制することはできない。」
と述べられています。こういった意見およびそれに対する命令制定権者の「考え方」(「反論」)が記録にとどめられることが、説明責任の観点から望ましかったことは言うまでもないでしょう。

5..審議会との関係

asahi.comには掲載されていませんが、朝日新聞の上記記事の署名解説には、

「小中学校の学習指導要領が告示段階で修正され、「愛国心」などが総則に入った。文部科学省は「現場の指導に影響が出る変更ではない」としているが、中央教育審議会が約3年をかけ、多様な意見をまとめた答申が基になっていることを考えると、土壇場の変更には疑問が残る。」

とあります。

一般に審議会とパブコメとの関係は悩ましい問題です。特に、中教審の場合は、まさに教育という領域の専門性の高さに着目して、政治と一定の距離を置くことを前提として設けられているという性質が強いのではないかと思われます。「歌うことの指導」が教育上・人格形成上もたらしうる意味(プラスとマイナスの双方)なども、教育専門家の観点から議論して欲しかったように思えます。

もっとも、「愛国心」教科等の方向でパブコメを呼びかけた人々は、「政治と距離を置くこと」それ自体を良しとしないのかもしれません。また、もう一つの審議会である教育再生会議との関係も確かに難しいものがあります。

(参考)中教審答申

<資料①>
豊島明子「パブリック・コメントの意義と課題」室井力編『住民参加のシステム改革-自治と民主主義のリニューアル』(日本評論社、2003)174-197

「これらの目的からまず明らかなことは、パブリック・コメントという手続が、行政の意思形成過程において単に国民からの意見を考慮するのみならず、①で示されているように、国民等からの多様な情報や専門的知識を把握するという趣旨をも盛り込んだ手続であるという点である。そしてまた、意見・情報・専門的知識の提出権者が「国民等」とされていることから、主権者たる国民以外の者からの意見提出をも広く念頭に置いている手続であるといえる。したがって、国のパブリック・コメントは、民主主義的参加手続に関する理論が従来から前提としてきた行政の意思形成の過程の民主化という目的よりもむしろ、意思形成過程における考慮事項(=意見・情報・専門的知識)をできる限り豊富化するという発想に立脚した手続であると見ることができる。そしてこのことは、国のパブリック・コメントが行革や規制緩和と強く結びついており、説明責任の履行を目指して制度化されたこととも符合すると考えられる」(177頁)
「第一に、パブリック・コメントは、民主主義的参加手続という性質をもつ手続であると同時に、主権者たる国民・住民以外の者も含む多くの者からの情報または専門的知識の収集をも目指した手続であることから、純然たる民主主義的参加手続とはいいがたいという特質を有していると解される。後者の、国民・住民等からの情報や専門的知識の収集手続という特質に着目すれば、パブリック・コメントは、行政の行う意思決定過程におけるできる限り多様な考慮事項の集約を図るための手続であり、主権者たる国民・住民の参加手続というよりは、当該案件に関する専門家からの多様な情報・知識の収集手続として把握されうる。」(186頁)
「そもそも、パブリック・コメントは、既存の意見書提出や公聴会の手続と同様に、提出された意見の数の多寡によって事を決する多数決的な手続ではない。それゆえ、提出意見がたとえ1件であったとしてもそれが採用される場合がありうるし、提出意見のなかに対立する二つの意見が存在し、かつ、そのうちの一方が圧倒的に少数意見であったとしてもそちらが採用される場合もありうるという性質の手続である。それゆえ、パブリック・コメントは、実施機関が何らかの政策決定を行う場合に、できる限り民意を反映した決定を行うというよりも、むしろ、何故に当該決定を行ったのかについてできる限り合理的な説明を行うための(説明責任を果たすため)の手段である面が強いと見られるべきであろう。」(189-190頁)

<資料②>
常岡孝好『パブリック・コメントと参加権』(弘文堂、2006年)

「同趣旨の意見が相当多数提出されたとしても、それで命令等制定期間の判断が拘束されるわけではない。同趣旨の意見が極めて多数に上っても、最終の命令等がこの意見を採用するよう拘束されることはない。もちろん、命令等制定機関が最終の命令等を制定するに当たって、同趣旨の意見が国民から極めて多く提出されたという事実をそれなりに重く受け止めるべきであろう。」(46頁)
「このように、改正法案が定める意見提出手続は、命令等制定の初期の段階で広く国民の意見を求めるものではなく、早期の参加が保障されていないきらいがある。そこで、後戻りできないような段階になって意見を求めるもので、その段階で提出された意見を考慮しても、原案の微修正しか起こりえないのではないかと言われるかもしれない。宇賀(『改正行政手続法とパブリック・コメント』)45頁は、案が具体的になるほど修正が困難になる傾向があるので、提出意見を十分に考慮して柔軟に対処することが期待されるという。ただ、改正法案は、後戻りの可能性を認めているといえよう。つまり、原案の大幅修正が起こりうることを認めており、その場合、第2ラウンドの意見提出手続が行われるとしている。宇賀・前掲書54頁は、当初案から同一性が失われる程度に大幅修正が行われたとき、修正案については意見提出手続をとっていないので、改正法43条4項括弧書を根拠に、改めて意見提出手続を実施しなければならない、とする。」(70頁註22)
「本改正法案のパブリック・コメント手続は、提出された意見を考慮して原案をよりよいものに修正し命令等を最終的に決定する手続である。それゆえ、原案の修正がもともと織り込まれた手続である。しかし、原案が無制限に修正可能だとすると逆に問題が生じる。たとえば、国民の大きな反発が予想される条項を外した原案を作成してそれについて意見を求め、提出意見を考慮して修正したと称して、反対の強い条項を最終的な命令等に潜り込ませることがおきるかもしれない。」
「しかし案の修正を無制限に認めると弊害もある。公表された案とまったく異なる最終決定が行われることを認めることになるからである。そうなると、論争の的になる規定を案の公表段階では意図的に公表せず、最終段階においてこれを盛り込んで意思決定すると言うことが出てくる。これでは何のために案を公表したのかわからない。提出された意見・情報もある意味で的外れなものになってしまう。行政機関がこうした争点隠しの戦術をとることに対し歯止めを用意しておくべきであろう。ただ、総務庁案では、提出された意見・情報に対する行政機関の「考え方」を公表することになっているので、これがある程度の歯止めになるといわれるかもしれない」(195頁、初出1999年→閣議決定に関して)

<資料③>
『逐条解説行政手続法(18年改訂版)』(ぎょうせい、2006)「42条解説」

「命令等制定機関における「考慮」は、提出意見の内容に着目して行われるものであって、提出意見の多寡に着目するものではないし、まして、これらの意見による多数決を導入するものではない。」(316頁)
「命令等制定機関は、命令等を定める権限を有するのであり、かつ、その内容を適正なものとする義務を負うのであるから、提出意見を考慮した結果とは別に、命令等制定機関の判断と責任において、命令等の案を修正することも許容されるが、公示した案と同一のものと判断し得ないほどに修正された場合には、改めて意見公募手続を行う必要が生じるものと考える。この場合であっても、命令等制定機関は、第43条第1項により、提出意見を踏まえての修正であるか否かを問わず、『意見公募手続を実施した命令等の案と定めた命令等との差異』を公示すべきこととされていることに留意する必要がある。」(317-318頁)

<資料④>
行政手続法検討会報告 2004年12月17日
「意見提出手続は、多種多様な行政立法に共通に考えられる手続であるところ、行政手続法の目的である行政運営における公正の確保及び透明性の向上という目的に資することが挙げられる。また、情報を収集することによる行政立法機関の判断の適正の確保の目的又は判断の過程への国民の適切な参加の目的にも資する。さらに、この手続の中で、国民に対し行政立法の内容を分かりやすく知らせる努力がなされることに着目し、透明性の向上から進んで政策情報の積棲的な提供へと、行政のスタイルを望ましい方向に変えるものであるとの指摘もあった。
(略)
なお、上述のような目的の制度であることから、提出された意見が多ければ拘束力を持つといった多数決の考え方をとるものではない。意見の内容が適切であれば、提出した者の数の多寡にかかわらず、生かしていくべきである。」(5頁)

<資料⑤>
規制の設定又は改廃に係る意見提出手続(閣議決定時代のもの)
 規制の設定又は改廃に伴い政令・省令等を策定する過程において、国民等の多様な意見・情報・専門的知識を行政機関が把握するとともに、その過程の公正の確保と透明性の向上を図ることが必要である。このような観点から、規制の設定又は改廃に当たり、意思決定過程において広く国民等に対し案等を公表し、それに対して提出された意見・情報を考慮して意思決定を行う提出手続(いわゆるパブリック・コメント手続)を、以下のとおり定める。

<資料⑥>
<第162国会衆議院総務委員会2006年6月9日(会議録18号)>

○五十嵐委員 特に特効薬みたいなものはないと思いますので、当面公表で対応するということで、あとは、行政側の心構えとして、大臣おっしゃるとおりに、法の趣旨を生かしていただくということだろうと思います。
 一方、逆に今度は、組織的な応募があって、どうかと思われる意見がたくさん集中して、数だけ公表するとその意見が圧倒的多数になってしまうというようなこともあり得るんですね。こういうことについて、そのまま公表するということでこれは仕方のないことなのか、それとも、これは組織的な同種同文のコメントであったというようなことを含めて公表すればいいということなのか、その辺のところもお伺いをしたいと思います。

○麻生国務大臣 そのようなことがあり得るというのは、特定の大臣を批判するといきなりばあっと、メールでいただければよろしいんですけれども、ファクスなんかで来るとファクスの紙代はこっちなものですから被害も出てくるというので、正直迷惑する話は今までもいっぱいあります。
 そういった意味では、こういったものは広く一般から意見を聴取するものではあるんですけれども、今言われましたように、同じ意見で組織的にやられた場合の話でいけば、数量ではかるんじゃないということであって、やはりその意見の内容の適正とか合理性とかいうものに着目しなければならないのではないかと思っております。
 やはり中立とか公平とか公正とかの立場から考慮するというのが最も大事なんだと思いますので、特に意見の内容とかまた考慮した結果などを公示するということによって、意見の公正というものを図っていかないかぬと思っておりますが、出されました意見というものを必要に応じて整理して、きちんとその内容を要約して公示するということもまた必要な方法かなと私どもは基本的に考えております。

(略)

○寺田(学)委員 その政省令というか命令等に関してまず原案を出して、それに対して意見を募るということなんですが、その原案自体がどのように出されるかということもまず第一歩として大事だと思うんですね。
 三十九条二項の方に、具体的かつ明確な内容のものというような規定があります。言いかえると、どのような形で原案を出すか、案の成熟度ということも非常にかかわってくると思うんですね。いろいろな政省令があると思うので、一律的な基準は難しいのかもしれませんが、大体の目安として、例えば、この間はブラックバスの規制に関してのパブコメがありましたけれども、禁止する魚の名前とか外来種の名前を列挙するぐらい具体性を持たせるのがいいのか、それとも、どのようなものを禁止すべきでしょうかという形の投げ方もあるでしょうし、もっと引き下がって、どのような基準のものを禁止すべきでしょうかという聞き方、大きく分けて三段階ぐらいあると思うんですよね。
 三十九条二項の、具体的かつ明確な内容のものというのはどのようなことを指しているのか、御答弁いただければと思います。

○藤井政府参考人 お答えいたします。
 成熟度というようなのは、御指摘のとおり、なかなか具体的には説明しづらいところがあるわけですが、ただ、ちょっと説明の仕方が変わるかもしれませんけれども、行政機関の中で政省令を考える場合、まだ検討中の、言いかえるとふらふらしているような段階、そういった段階での案を国民にお示しするということはある意味で国民に対して失礼でもありますし、仮に意見が出てきても、再度最終段階で意見を聞くべきだということが当然議論として起きてきます。
 そういう意味で、御意見をお聞きする案というようなのは、やはり行政機関内で相当検討された上で、それで、最終案とは申しませんけれども、最終的な段階の案を示されるということをこの制度は前提としております。
 それで、ブラックバスがいいかどうか、そういうようなカテゴリーで、そういう場合もあるのかもしれませんけれども、極めて抽象的な言い方でございますが、いわば、行政機関の中でやはり相当判断した上で、自信を持って、行政機関としてはこういうふうに考えるんだけれどもというぐらいの熟度の案という意味で、この具体的に明確にという言葉を使わせていただいております。

(略)

○寺田(学)委員 もともと性善説に立ったり、大体はいい人間だというようなことに立つのであれば、そもそも規制する必要はなかったり、こういうような制度はないわけで、性悪説に立っているというか、もともと性格が悪いというか、隠ぺいするようなことがあるからこそ、要は、法律の施行日だって省令で定めるということもあるでしょうし、そういうようなことをいろいろ駆使して隠していくということが今まであったからこそ、こういうのが出ていると思うんですね。そこら辺はかなり重要性を持って考えられたらいいと思います。
 それと、意見を募集した後に意思決定をするわけですけれども、その意思決定内容というものがどれほど原案からずれていていいのかということも、この制度の本質を担保するためには大事だと思うんですよね。
 かなり具体的なものを列挙して、具体性のある原案を出して、それに対して意見が来た、そのときに、意見が来たもの以外のものを最終の意思決定として省庁側から出すということもあるのかなと思うんですよね。私が性格が悪いなりに考えてみると、ここにもともとさらしたくないものがある、さらしたくないある箇所があって、それをわざと原案には載せない、載せないでパブコメに出して、意見をばっともらって、その意見の中に入っていない、当初から隠してあるものを最後にぽんと載せて、最終的な意思決定ですとやることもできると思うんですよね。
 どうなんでしょう。ここら辺、原案に対して最終の意思決定をする、でき上がったもの、要は修正の限界点というのはどれぐらいにあるんですか。

○藤井政府参考人 御指摘の点はごもっともだと思うんですが、これもなかなか一般的な形式的基準ではお答えにくいところであろうかと思っております。
 ただ、この制度が前提にしているのは、やはり国民に案を示して、その意見を考慮した上で決定する、こういうシステムを前提としておるわけですから、国民に意見を聞いていないもの、そういったもので決めるというようなのは、この法律の趣旨に反することでございますので、決して適法とは言えないと思っております。
 また、では実質どこまで認められるかということになりますと、これはやはり個別具体的なケースごとに見ていかなければいけないことになると思うんですが、一番重要なのはやはり国民の権利義務に直接かかわるようなルールなわけでございますから、そういう国民の権利義務に実質的に影響のあるような変更を案を公示しないでやるということは、この法律は認めていないというふうに私どもは理解しているところでございます。

○寺田(学)委員 では、原案に載っていないもので新しい意見がないものを最終の意思決定として出すのはだめだということですよね。どうですか。

○藤井政府参考人 先ほどの御答弁の中でも実質的という言い方をしたかと思いますけれども、形式的であって、軽微であって、国民の権利義務に直接かかわるものではないというものはあり得るかと思いますが、そこはなかなか、明確にこういう場合はこうだというようなのは、今こちらではお答えしにくく、まさに個別の事例に即して判断していかざるを得ないというふうに考えているところでございます。

○寺田(学)委員 正直、結構ざるになっちゃうと思うんですよね、こういうものは。なぜにざるになるかということは、正直なところ、違反しても、前回の閣議決定の部分での、要は違反、手続ミス、そういうものが多々あったみたいですけれども、それに対しての罰則が何にもないわけですよね。だとしたら、多少専門家からちくちく言われようとも、こんなもの無視しちゃえとか、こんなものいいかげんにやっちゃえということはできるわけですよ。これは罰則を設ける気はないんでしょうか。

○藤井政府参考人 罰則の件でございますが、これも、従来の情報公開法とか個人情報保護法なんかの御論議でも出てきたわけでございます。基本的に、この法律もそうですが、法律の義務の対象は実は行政機関ということでございまして、組織に課しているところでございます。組織の長というのは、恐縮ですが、大臣でございますが、その方々に対する義務という形でつくられているところでございます。
 実際、この法律の趣旨に反した行動をするというのは補佐機関である職員ということになるわけですが、こういう職員が法律に反した行為をするということについては、既に一般法としての国家公務員法等で、法令遵守義務とか上司の命令に従う義務とか、そういう法律が定められておりまして、いわば、そういう一般法である国家公務員法のもとに、行政機関の長の方のいわば指揮監督の中で適正に法律を執行する、そういうシステムがこれまでずっとつくられてきたということでございます。
 したがいまして、この法律で特別に罰則を設けるというようなことはしていないということでございます。

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2008年4月 3日 (木)

第8回行政法研究フォーラム:開催日程・場所

○第8回行政法研究フォーラムの開催日程・場所が決まりました。

日時:2008年8月3日(日)午後

場所:キャンパスプラザ京都(JR京都駅前)

○第7回行政法研究フォーラムの各報告が、「自治研究」誌に掲載されています。

高橋 滋 「行政不服審査制度検討会最終報告の概要-検討会における議論を振り返って」自治研究84巻2号3-39頁(2008年)
越智敏裕「行審法改正の意義と課題-不服審査制度ユーザーの視点から」自治研究84巻3号3-27頁(2008年)
田中孝男「行政不服審査法改正の意義と課題-自治体の行政実務から」自治研究84巻4号3-37頁(2008年)

質疑の概要についても、引き続き「自治研究」誌に掲載していただく予定です。

○行政法研究フォーラムメールマガジンの登録はこちらでお願いします。上記Webサイトもご参照下さい。

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2008年3月20日 (木)

市街化調整区域指定差止訴訟

読売新聞2008.3.18

市街化調整区域指定の都市計画案が県により進められている、鹿嶋市大野地区の地権者80人が、県を相手取り、調整区域指定の差し止めを求める訴訟を 17日、水戸地裁に起こした。県は無秩序開発に歯止めをかけたいとしているが、住民側は調整区域の目的である「無秩序な市街化を防止する」という要件を欠 き、違法だと主張している。
 訴状によると、鹿嶋市北部の旧大野村は1975年、都市計画法に基づいて「大野都市計画区域」と指定されたが、95年に隣接する鹿島町と合併した 後も、市街化区域と市街化調整区域の線引きをしないままだった。県は、大野都市計画区域と、既に線引きがされている旧鹿島町、同町と神栖市からなる「鹿島 臨海都市計画区域」を統合し、一つの都市計画区域とし、大野地区全域(約4050ヘクタール)を市街化調整区域とする計画案がある。原告住民らは「開発行 為や建築物の新築を原則として禁止する調整区域の指定は、客観的根拠に基づき慎重に判断されなければならない」とした上で、「大野地区はそもそも(土地の 売買が制限されるなどの)農業振興地域に指定されている。また、県は計画案の中で言う『無秩序な市街化』の具体的な事実を示していない」と主張している。 
 提訴後の記者会見で、原告団長の内田俊雄さん(71)は「市街化調整区域に指定された、鹿嶋市の清水地区などでは産廃業者による環境破壊が進んで いる」と訴えた。生活に窮した農家などが地中の砂利などの掘削を許し、掘削後に産業廃棄物が放置されていくケースもあるといい、原告代理人は「農業振興地 域整備法だけでは済まない理由がまったく説明されていない」と疑問を呈した。
 
 同地区は田畑、山林が多い地域だが、東京に近く、気候が温暖なことなどから都内からの転入が進み、人口は合併後10年で約3400人増加した。県 が昨年11月に開いた住民への公聴会で県は、調整区域の線引きがされていないため、小規模開発が進み、道路や排水施設などの都市計画が効率的に進まないと 説明し、理解を求めていた。提訴について県は「訴状を見ていないのでわからない」とコメントした。

現在、土地区画整理事業計画の処分性に関して大法廷に論点回付され審理中と報道されていますが、仮に処分性を認める方向で変更がなされる場合、その射程が気になるところです。訴状が線引き=処分だと主張しているのかそれとも確認訴訟かはわかりませんが、いずれにせよ、従来「都市計画の処分性」が議論される際、線引きまではあまり想定していなかったようにも思います。都市計画争訟研究報告書(『新都市』2006年9月号92頁)にもみられる裁決主義による都市計画争訟の提案(これはこれで行政不服審査法改正と関連するのでしょうが)とも絡み、なんらかの方向性が示されざるをえないでしょうが、どういう方向になるか、全く予想できません。

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2008年3月15日 (土)

鞆の浦世界遺産訴訟・続報

前エントリで触れた鞆の浦世界遺産訴訟の仮の差し止め決定についての報道です。

中国新聞 2008.3.14 鞆架橋計画、原告団抗告せず     

福山市鞆町の鞆港埋め立て・架橋計画をめぐる訴訟で、広島地裁が原告の仮差し止め申し立てを却下した決定について、計画反対の住民らでつくる原告団は13日までに、広島高裁への抗告をしないことを決めた。住民の景観利益などを認めた決定の内容を評価した上での判断という。
 原告側弁護団によると、緊急性がないとした仮差し止めの要件解釈に疑問があるが、(1)住民の景観利益や排水権の所有範囲拡大など原告の主張の多くを認めている(2)免許後に執行停止を申し立てることができる―として即時抗告は見送る。

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«鞆の浦世界遺産訴訟:仮の差止めに関する決定について